しょうもない話

haluca312

2014年12月09日 20:34

先日、日テレ系、某番組で帯広豚丼文化みたいなのやってまして、

みのもん○が、口元に飯粒つけながら、美味そうに食ってまして、、

居ても立ってもいられなくなりまして、帯広へと急行したのでありました。



帯広ぶたいち白樺店








俺が子供の頃、メシと言えば、

米、ふりかけ、漬物、みそ汁が定番の、、、

メインディッシュに、イモ、カボチャ、マメ、トウキビ、

ヤツメ、サケ、サンマ、イカ、稀にウグイ!の豪華食材!

の中の、どれか一品。 そんなもんでありました。


質素というか、貧乏というか、、絶対貧乏だろが・・っ!

親の名誉の為、質素な健康食ということにしておきますが、、。




折しも時代は高度経済成長の真っ只中!


北海道の、ど田舎の食生活も、凄まじい勢いで、

日々変わって行くのでありました・・。



でんぷん団子からカステラへ。

粉ジュースからカルピスへ。

かりんとうからポッキーへ。

サルマタからブリーフへと??

驚きの連続でありました。




そんでもって「カレーライス」という料理が登場するワケであります。

昭和初期には、とっくに普及してたハズなのだが、、、。 

やっぱり貧乏だったんだ!



外遊びから帰り、台所からプ~ンとカレーの匂いがすると、

俺は台所をピョンピョン跳びまわり、雄叫びをあげながら、

喜びのダンスを、母親に披露していたのであります。

カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!
カ~、カレライス! カカ~、カレライス! カカカ~、カレライス!
カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!~~~~~!

ホントに、アホな鼻たれ小僧でありました。 誰が生んだのか、、。

「お前は橋の下から拾うてきたんだ」とよく聞かされましたが、、、。




俺の目当ては、カレーのルー(皿をなめる)も然ることながら、

具(ぐ)グ~!?

丸くて可愛いく、都会的な、ピンク色の、

マルちゃん魚肉ソーセージなのでありました。

洒落てて、うまくて、最高じゃ~~~ん! みたいな感じ。、、、


ジンバブエやニジェール の子供達が、日本に来たら、

「 ニッポン、カワイイ、キレイ! トーフ、サイコ~! ゲイシャ! 」 

みたいな感じ。でしょうか???




あ、そうそう、今思い出したんですけど、須藤アツオ君。。

お父さんが営林署に勤めていて第2分団の団地に住んでた子なんですけど、

そのアツオ君に、10才年上のイケてる、おねえさんがいて、

たしか・・? 間違ってたらゴメンなさいなんですけど、

ヨネタ商店さんで働いてたんですよ、、、。

10坪ほどの店で、今ならやっと、ジジババで営んでるか、、

とっくに潰れてしまってるか、、、。 のレベルなんですけど、、、

その当時は、町で唯一のハイソサエティな店でして、、

「 アツオのねえちゃんとこ遊びに行くべ! 」みたいな話になって、

ヨネタ商店さんへに行ってみたら、、、

アツオ君のおねえさんが、身欠きニシンの入った箱を持って来て、、

「 これ食べ !」って、2本も!

2本も身欠きニシンくれたんですよ。。

身欠きニシンを、2本も!!。。 ビックリじゃないですか2本も。




俺は、身欠きニシンを、ズボンの両ポケットに入れ、

サッっと抜き、2丁拳銃の撃つポーズをしては、クチャクチャとしゃぶりつき、

またズボンの両ポケットにサッっと収め、、、

またサッっと抜き、2丁拳銃の撃つポーズをしては、クチャクチャ、

なんて事を繰り返しながら、10日くらい、、

ニシン拳銃で、おしゃぶり遊びをしてましたからね、、。

勿論、拳銃は2丁とも胃袋に収納されましたが、、。



そんなこんなで、、

まだまだ時代は高度経済成長の真っ只中!

世の中は、更にどんどん変わっていくワケであります・・。


足袋からシューズへ。 

根性の腕立伏せからエキスパンダーへ。

けんけんぱ?からツイスターゲームへ。

二宮尊徳から自由の女神へと??



親父が布団の下に隠し持ってた金髪のエロ本をのを見つけ、

家の留守番をするのが楽しみになっていた頃、

我家のカレーライスの具(ぐ)グ~が、

マルちゃん魚肉ソーセージから豚肉へ。

元気とヤル気とメタボの源、豚肉へと。

俺のソウルフードへ変わっていく。 というような、、、


しょうもない話でした~。。。



開店一番乗りした寳龍 清水店









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