先日、日テレ系、某番組で帯広豚丼文化みたいなのやってまして、
みのもん○が、口元に飯粒つけながら、美味そうに食ってまして、、
居ても立ってもいられなくなりまして、帯広へと急行したのでありました。
帯広ぶたいち白樺店
俺が子供の頃、メシと言えば、
米、ふりかけ、漬物、みそ汁が定番の、、、
メインディッシュに、イモ、カボチャ、マメ、トウキビ、
ヤツメ、サケ、サンマ、イカ、稀にウグイ!の豪華食材!
の中の、どれか一品。 そんなもんでありました。
質素というか、貧乏というか、、絶対貧乏だろが・・っ!
親の名誉の為、質素な健康食ということにしておきますが、、。
折しも時代は高度経済成長の真っ只中!
北海道の、ど田舎の食生活も、凄まじい勢いで、
日々変わって行くのでありました・・。
でんぷん団子からカステラへ。
粉ジュースからカルピスへ。
かりんとうからポッキーへ。
サルマタからブリーフへと??
驚きの連続でありました。
そんでもって「カレーライス」という料理が登場するワケであります。
昭和初期には、とっくに普及してたハズなのだが、、、。
やっぱり貧乏だったんだ!
外遊びから帰り、台所からプ~ンとカレーの匂いがすると、
俺は台所をピョンピョン跳びまわり、雄叫びをあげながら、
喜びのダンスを、母親に披露していたのであります。
カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!
カ~、カレライス! カカ~、カレライス! カカカ~、カレライス!
カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!カレライス!~~~~~!
ホントに、アホな鼻たれ小僧でありました。 誰が生んだのか、、。
「お前は橋の下から拾うてきたんだ」とよく聞かされましたが、、、。
俺の目当ては、カレーのルー(皿をなめる)も然ることながら、
具(ぐ)グ~!?
丸くて可愛いく、都会的な、ピンク色の、
マルちゃん魚肉ソーセージなのでありました。
洒落てて、うまくて、最高じゃ~~~ん! みたいな感じ。、、、
ジンバブエやニジェール の子供達が、日本に来たら、
「 ニッポン、カワイイ、キレイ! トーフ、サイコ~! ゲイシャ! 」
みたいな感じ。でしょうか???
あ、そうそう、今思い出したんですけど、須藤アツオ君。。
お父さんが営林署に勤めていて第2分団の団地に住んでた子なんですけど、
そのアツオ君に、10才年上のイケてる、おねえさんがいて、
たしか・・? 間違ってたらゴメンなさいなんですけど、
ヨネタ商店さんで働いてたんですよ、、、。
10坪ほどの店で、今ならやっと、ジジババで営んでるか、、
とっくに潰れてしまってるか、、、。 のレベルなんですけど、、、
その当時は、町で唯一のハイソサエティな店でして、、
「 アツオのねえちゃんとこ遊びに行くべ! 」みたいな話になって、
ヨネタ商店さんへに行ってみたら、、、
アツオ君のおねえさんが、身欠きニシンの入った箱を持って来て、、
「 これ食べ !」って、2本も!
2本も身欠きニシンくれたんですよ。。
身欠きニシンを、2本も!!。。 ビックリじゃないですか2本も。
俺は、身欠きニシンを、ズボンの両ポケットに入れ、
サッっと抜き、2丁拳銃の撃つポーズをしては、クチャクチャとしゃぶりつき、
またズボンの両ポケットにサッっと収め、、、
またサッっと抜き、2丁拳銃の撃つポーズをしては、クチャクチャ、
なんて事を繰り返しながら、10日くらい、、
ニシン拳銃で、おしゃぶり遊びをしてましたからね、、。
勿論、拳銃は2丁とも胃袋に収納されましたが、、。
そんなこんなで、、
まだまだ時代は高度経済成長の真っ只中!
世の中は、更にどんどん変わっていくワケであります・・。
足袋からシューズへ。
根性の腕立伏せからエキスパンダーへ。
けんけんぱ?からツイスターゲームへ。
二宮尊徳から自由の女神へと??
親父が布団の下に隠し持ってた金髪のエロ本をのを見つけ、
家の留守番をするのが楽しみになっていた頃、
我家のカレーライスの具(ぐ)グ~が、
マルちゃん魚肉ソーセージから豚肉へ。
元気とヤル気とメタボの源、豚肉へと。
俺のソウルフードへ変わっていく。 というような、、、
しょうもない話でした~。。。
開店一番乗りした寳龍 清水店